カワサキのスーパーシェルパはトレッキングバイク系でもオフロード色が強いほうかなと思います。
これをロード専用に使いたいというオーナーの為のモディファイです。
前後サスペンションのショートストローク化とバネレートのモディファイ、
フロントブレーキの強化などでオンロード走行用に特化させました。
ブレーキはstdキャリパーを使用しての強化です。
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カワサキのスーパーシェルパはトレッキングバイク系でもオフロード色が強いほうかなと思います。
これをロード専用に使いたいというオーナーの為のモディファイです。
前後サスペンションのショートストローク化とバネレートのモディファイ、
フロントブレーキの強化などでオンロード走行用に特化させました。
ブレーキはstdキャリパーを使用しての強化です。
エンジンの回転方向って普段あまり気にするものじゃぁ無いと思いますが、
なんとなく進行方向と同じ。言い換えればタイヤと同じ回転方向のような気がしませんか?
クランクシャフトが横置きのエンジンは大抵イメージ通りそのように回転しています。
その理由は?と言うと、
リアタイヤを回転させるためにエンジンの中に3つの「ギア」シャフトがあるからです。
リヤタイヤとチェーンで繋がっているドライブシャフト、これは正回転。
減速の為のカウンターシャフト、これ逆回転。
そしてクランクシャフトが正回転になるのです。
リヤタイヤの回転方向が基準となり、正→逆→正となるわけです。
どんなエンジンでもタイヤをチェーンで駆動している限りは、ドライブシャフトは
正回転になります。
しかし中には例外もあって、旧車で人気が高いCBX400Fなどはクランク逆回転エンジンです。
このエンジンは、カウンターシャフトとクランクシャフトが「チェーン」で繋がっています。
なので2本のシャフトが同一方向へ回転するのでクランクシャフトも
逆回転するしかなくなるのです。すると当然カムシャフトも逆回転します。
エンジンを組む際には見慣れないカム山の向きを見ることになります。
また、カムチェーンの弛む側も反対になるので、内蔵式という事も相まって、
複雑な機構を使ってチェーンにテンションをかけています。
また、構造上このエンジンはカウンタークランク間のギアバックラッシュが無くなっています。
古いエンジンでもきちんとオーバーホールするとすごく静かになるのはこの辺りが
影響しているのかな?とも思ったりします。
しかしこれ以降はまた普通の正回転エンジンにに戻っちゃいましたね。
過去のホンダ車に良くあった、新機構へのトライだったのでしょうか?
先の地震で東名高速牧之原SA付近で道路が崩れましたね。
この牧之原SAにはちょっとした思い出があります。
今から20数年前、鈴鹿の8耐が一番盛り上がっていた頃、
友人らと夜の東名を鈴鹿に向けて走っていました。
バイクは皆250ccのオフロード車です。100キロ+α?ぐらいで走っていました。
普段はオフロードメインなので、このスピードでエンジンがほぼ回り切っています。
すると、友人のうちの1人が並走していた私に「おいで、おいで」と手招きしてきました。
走りながら近寄って、彼がゆびを指しているエンジンの方をみると・・・・
なんと闇の中でエキパイが真っ赤に光り輝いていました。すごく綺麗でした。
走りながら「うあっ、きれいだナァ」「おぅ」みたいな会話をした記憶があります。
その時はエキパイって光る時もあるんだなぁぐらいの気持ちで見ていたと思います。
それでも何事も無く鈴鹿へ着いてしまうんだからそれ以上何も心配しないですよね。
そしてレースで感化された皆は行き以上のペースで帰りの東名を走っていたところ、
(レース後の鈴鹿市内はあちこちで信号グランプリでした、ホント)
自分の前を走っていたバイクが突然マフラーから大量の紫煙を吐き出しながらスローダウン。
行きにエキパイを光らせていた彼のバイクでした。
場所がたまたま牧之原SAの手前だったので、そのまま惰性でピットイン。
ペダルをキックしても全然足応えが無かったのを覚えています。
後日エンジンを開けてみたら、ピストンの真ん中に大きな穴があいてました。
「やっぱりあれ、マズかったんじゃないの?エキパイ」「そうかな?」
ピストンを見ながらそんな軽い会話で終わった気がします(笑)
今考えれば原因になりうる事がいくつもあるし、使っていたオイルと
エンジンの壊れ方の関係など大変興味深いのですが、
その当時は早く直してまた走ろうぐらいしか考えていなかったのでしょう。
けれどもこう言った実際のトラブルの体験は、読み聞く知識と違う何かがありますね。
知っているんじゃなくて解っているという事は経験を通さないと得られないような気がします。